涙が出そう

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写真は夏の壮行会のものです。

3年生は「夏」が終わると野球部を去っていく。
その最後の壮行会です。

写っているのは、
志学館の主将・生田(いくた)くんです。

個人名であるが、決して悪い話ではないので、
許してもらえるだろう。
(と、いつも勝手に思っている)

その隣が(といっても加工写真であるが)、
生田くんのお母さんです。

手に持っているのが、
お母さんが折った千羽鶴です。

この千羽鶴には、
お母さんのいろんな「思い」が込められているのだろう。

・ケガなおるように。
・キャプテンを無事つとめられるように。
・みんなに迷惑をかけないように。
・最後までしっかりと野球を。
・その野球を1日でも長く。

彼は、底抜けに明るい選手だった。

20020303_ikuta.jpg

学校でも人気者であった。

20020216_ikuta_0216.jpg

しかもキャプテンの自覚に燃え、
率先してチームを引っ張った。

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ところが、あるとき不運に襲われた。

2002年6月2日 於.袖ヶ浦球場

千葉県南部大会の試合中である。

彼はショートであった。

20010923_shigakukan_ikuta_mori.jpg

上の写真は別の試合のときのであるが、
いつも華麗なプレーを魅せていた。

しかも、強肩を武器にしていた。

ところが、
ところがである。

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この打席のあとに事故が起きた。

守備についた生田くんが、
外野手からバックホームを中継したときに、
右腕の「肘(ひじ)」を痛めたのです。

このときの写真も撮っていたのだが、
探しても出てこなかった。

申し訳ない。

だが、この瞬間は、いまでも鮮明に覚えている。

カメラの後ろに拓大紅陵の選手たちがいた。

次の試合に備えていたのであろう。

その選手たちが口を揃えて言った。

「やばいっ」

このまま、彼は入院した。

私も一度だけ見舞いにいった。

この時期のケガは致命的だ。

夏の大会まで2ヶ月を切っていた。

時間がなさ過ぎる。

退院しても右腕のギブスはまだ外せない。

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020616_ikuta_0616.jpg

しかし、時間は待ってくれない。

冷酷にも夏の大会が始まった。

彼は、ずっとベンチウォーマーだった。

そして、チャンスがやってきた。

佐倉戦の9回表。

代打で打席に立ったのだ。

20020721_l99_ikuta.jpg

しかし、凡打に終わった。

この試合の詳細は別のブログに譲る。

こんな幕切れが待っていたとは、記憶に残る壮絶な高校野球(その1)

そして彼の「夏」が終わった。

20020721_s93_ikuta.jpg

ロッカールームでは、彼は泣かなかった。

いや、泣こうにも泣けなかったのであろう。

それだけキャプテンの重圧があったのだ。

私が彼の涙を見たのは、
冒頭の写真だけだ。

キャプテンの役割がとかれたときに、
彼が初めて泣いたのだ。

底抜けに明るい生田くん。

その底抜けに明るい生田くんが泣いた。

ここまで来るのに、
人知れぬ悩みや苦労を持っていたのだろう。

そう思うと、
こっちまで目頭が熱くなった。

このブログを書きながらでもだ。

涙が出そうだ。












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写真は卒部式のものである。
3年生は「夏」が終わると野球部を去っていく。
そのお別れ会が、この卒部式である。

写っているのは志学館の主将・生田くんである。
個人名であるが、決して悪い話ではないので、
許してもらえるだろう。
(と、いつも勝手に思っている)

その隣が(といっても加工写真であるが)、
生田くんのお母さんである。

手に持っているのが、
お母さんが折った千羽鶴です。

この千羽鶴には、
お母さんのいろんな「思い」が込められているのだろう。

・ケガなおるように。
・キャプテンを無事つとめられるように。
・みんなに迷惑をかけないように。
・最後までしっかりと野球を。
・その野球を1日でも長く。

彼は、
底抜けに明るい選手だった。

20020303_ikuta.jpg

学校でも人気者であった。

20020216_ikuta_0216.jpg

しかもキャプテンの自覚に燃え、
率先してチームを引っ張った。

20010923_shigakukan_ikuta.jpg

ところが、あるとき不運に襲われた。

2002年6月2日 於.袖ヶ浦球場

千葉県南部大会の試合中である。

彼はショートであった。

20010923_shigakukan_ikuta_mori.jpg

上の写真は別の試合のときのであるが、
いつも華麗なプレーを魅せていた。

しかも、強肩を武器にしていた。

ところが、
ところがである。

020602_ikuta_0606.jpg

この打席のあとに事故が起きた。

守備についた生田くんが、
外野手からバックホームを中継したときに、
右腕の「肘(ひじ)」を痛めたのである。

このときの写真も撮っていたのだが、
探しても出てこなかった。
申し訳ない。

だが、この瞬間は、いまでも鮮明に覚えている。
カメラの後ろに拓大紅陵の選手たちがいた。
次の試合に備えていたのであろう。
その選手たちが口を揃えて言った。

「やばいっ」

このまま、彼は入院した。

私も一度だけ見舞いにいった。

この時期のケガは致命的だ。

夏の大会まで2ヶ月を切っていた。
時間がなさ過ぎる。

退院しても右腕のギブスはまだ外せない。

020622_bunkasai00_0622.jpg

020616_ikuta_0616.jpg

しかし、時間は待ってくれない。

冷酷にも夏の大会が始まった。

彼は、ずっとベンチウォーマーだった。

そして、チャンスがやってきた。

佐倉戦の9回表。
代打で打席に立ったのだ。

しかし、凡打に終わった。

この試合の詳細は別のブログに譲る。

こんな幕切れが待っていたとは、記憶に残る壮絶な高校野球(その1)

そして彼の「夏」が終わった。

20020721_s93_ikuta.jpg

ロッカールームでは、彼は泣かなかった。
いや、泣こうにも泣けなかったのであろう。

それだけキャプテンの重圧があったのだ。

私が彼の涙を見たのは、
冒頭の写真だけだ。

キャプテンの役割がとかれたときに、
彼が初めて泣いたのだ。

底抜けに明るい生田くん。

その底抜けに明るい生田くんが泣いた。

ここまで来るのに、
人知れぬ悩みや苦労を持っていたのだろう。

そう思うと、
こっちまで目頭が熱くなった。

このブログを書きながらでも同様だ。
涙が出そう。

下記ブログも宜しくお願いいたします。
何かが違う・・こんなチーム見たことがない(大分西高校)、私の野球取材生活を総括する


白球の世紀 高校野球100回秘史









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