涙が出そう

写真は夏の壮行会のものです。
3年生は「夏」が終わると野球部を去っていく。
その最後の壮行会です。
写っているのは、
志学館の主将・生田(いくた)くんです。
個人名であるが、決して悪い話ではないので、
許してもらえるだろう。
(と、いつも勝手に思っている)
その隣が(といっても加工写真であるが)、
生田くんのお母さんです。
手に持っているのが、
お母さんが折った千羽鶴です。
この千羽鶴には、
お母さんのいろんな「思い」が込められているのだろう。
・ケガなおるように。
・キャプテンを無事つとめられるように。
・みんなに迷惑をかけないように。
・最後までしっかりと野球を。
・その野球を1日でも長く。
彼は、底抜けに明るい選手だった。

学校でも人気者であった。

しかもキャプテンの自覚に燃え、
率先してチームを引っ張った。

ところが、あるとき不運に襲われた。
2002年6月2日 於.袖ヶ浦球場
千葉県南部大会の試合中である。
彼はショートであった。

上の写真は別の試合のときのであるが、
いつも華麗なプレーを魅せていた。
しかも、強肩を武器にしていた。
ところが、
ところがである。

この打席のあとに事故が起きた。
守備についた生田くんが、
外野手からバックホームを中継したときに、
右腕の「肘(ひじ)」を痛めたのです。
このときの写真も撮っていたのだが、
探しても出てこなかった。
申し訳ない。
だが、この瞬間は、いまでも鮮明に覚えている。
カメラの後ろに拓大紅陵の選手たちがいた。
次の試合に備えていたのであろう。
その選手たちが口を揃えて言った。
「やばいっ」
このまま、彼は入院した。
私も一度だけ見舞いにいった。
この時期のケガは致命的だ。
夏の大会まで2ヶ月を切っていた。
時間がなさ過ぎる。
退院しても右腕のギブスはまだ外せない。


しかし、時間は待ってくれない。
冷酷にも夏の大会が始まった。
彼は、ずっとベンチウォーマーだった。
そして、チャンスがやってきた。
佐倉戦の9回表。
代打で打席に立ったのだ。

しかし、凡打に終わった。
この試合の詳細は別のブログに譲る。
こんな幕切れが待っていたとは、記憶に残る壮絶な高校野球(その1)
そして彼の「夏」が終わった。

ロッカールームでは、彼は泣かなかった。
いや、泣こうにも泣けなかったのであろう。
それだけキャプテンの重圧があったのだ。
私が彼の涙を見たのは、
冒頭の写真だけだ。
キャプテンの役割がとかれたときに、
彼が初めて泣いたのだ。
底抜けに明るい生田くん。
その底抜けに明るい生田くんが泣いた。
ここまで来るのに、
人知れぬ悩みや苦労を持っていたのだろう。
そう思うと、
こっちまで目頭が熱くなった。
このブログを書きながらでもだ。
涙が出そうだ。



写真は卒部式のものである。
3年生は「夏」が終わると野球部を去っていく。
そのお別れ会が、この卒部式である。
写っているのは志学館の主将・生田くんである。
個人名であるが、決して悪い話ではないので、
許してもらえるだろう。
(と、いつも勝手に思っている)
その隣が(といっても加工写真であるが)、
生田くんのお母さんである。
手に持っているのが、
お母さんが折った千羽鶴です。
この千羽鶴には、
お母さんのいろんな「思い」が込められているのだろう。
・ケガなおるように。
・キャプテンを無事つとめられるように。
・みんなに迷惑をかけないように。
・最後までしっかりと野球を。
・その野球を1日でも長く。
彼は、
底抜けに明るい選手だった。

学校でも人気者であった。

しかもキャプテンの自覚に燃え、
率先してチームを引っ張った。

ところが、あるとき不運に襲われた。
2002年6月2日 於.袖ヶ浦球場
千葉県南部大会の試合中である。
彼はショートであった。

上の写真は別の試合のときのであるが、
いつも華麗なプレーを魅せていた。
しかも、強肩を武器にしていた。
ところが、
ところがである。

この打席のあとに事故が起きた。
守備についた生田くんが、
外野手からバックホームを中継したときに、
右腕の「肘(ひじ)」を痛めたのである。
このときの写真も撮っていたのだが、
探しても出てこなかった。
申し訳ない。
だが、この瞬間は、いまでも鮮明に覚えている。
カメラの後ろに拓大紅陵の選手たちがいた。
次の試合に備えていたのであろう。
その選手たちが口を揃えて言った。
「やばいっ」
このまま、彼は入院した。
私も一度だけ見舞いにいった。
この時期のケガは致命的だ。
夏の大会まで2ヶ月を切っていた。
時間がなさ過ぎる。
退院しても右腕のギブスはまだ外せない。


しかし、時間は待ってくれない。
冷酷にも夏の大会が始まった。
彼は、ずっとベンチウォーマーだった。
そして、チャンスがやってきた。
佐倉戦の9回表。
代打で打席に立ったのだ。
しかし、凡打に終わった。
この試合の詳細は別のブログに譲る。
こんな幕切れが待っていたとは、記憶に残る壮絶な高校野球(その1)
そして彼の「夏」が終わった。

ロッカールームでは、彼は泣かなかった。
いや、泣こうにも泣けなかったのであろう。
それだけキャプテンの重圧があったのだ。
私が彼の涙を見たのは、
冒頭の写真だけだ。
キャプテンの役割がとかれたときに、
彼が初めて泣いたのだ。
底抜けに明るい生田くん。
その底抜けに明るい生田くんが泣いた。
ここまで来るのに、
人知れぬ悩みや苦労を持っていたのだろう。
そう思うと、
こっちまで目頭が熱くなった。
このブログを書きながらでも同様だ。
涙が出そう。
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何かが違う・・こんなチーム見たことがない(大分西高校)、私の野球取材生活を総括する

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